~せとうちに〈ある〉もの~ Part 1

2019年9月6日

旅先でふらっと立ち寄った場所で感じるあの居心地の良さ。
話すつもりなんてなかったのに、通りすがりのおばあちゃんや、
定食屋のおじいちゃんに、
気づいたら不安や悩みを赤裸々に打ち明けてしまっていた、あの感じ。
くよくよ悩んでいたことが嘘のように、すっきりとした気持ちになっていたこと。

このとき、旅人を見つけては「ここには何もないでしょ」と
自嘲しがちなおばあちゃんやおじいちゃんもまた、びっくりしているのです。
自分たちからしてみれば、何でもない会話だったのに、
どうしてこのお客さんはいたく感動しているのだろう、と。
この瞬間に起きていることは、
「ない」ものと「ある」ものの単なる交換なのでしょうか。
都会にはないものが、地方にはある。
地方にはないものが、都会にはある。
それだけなのでしょうか。

むしろ、このとき旅人は、乱暴に引っ張り出そうとしたら
すぐに壊れてしまうような、普段の生活の中では
「ない」ものとして蓋をしていたそんなとてもとても繊細な<ある>ものを
自然に差し出していて、そんなものがあること自体に
驚いてしまっているのではないでしょうか。

逆に、おしいじちゃんおばあちゃんは、いつもそうしている、
自分たちにとっては「ない」も同然の、空気のようななにかが、
〈ある〉ものとして受け止められていることに、
びっくりしているのではないでしょうか。
そこでは、ないことにしていものが、〈ある〉のです。

これは、「ある」ものと「ない」ものの等価的な交換ではありません。
これは、同じコウカンでも〈ある〉もの同士が織り成す「交感」と
呼べるのではないでしょうか。